汐入公園

しおいりこうえん Shioiri-Kōen

   
所在地  東京都荒川区南千住
駅番号 EG08
キロ程 汐入公園起点0キロ (東京起点9.2キロ 新御徒町駅起点4.7キロ)              
駅構造 高架駅
ホーム 2面4線
開業年月日 1937年(昭和12年)8月8日  (信号所としての開業は昭和11年3月3日)

停車種別:各停 準急 急行

 

昭和11年に、青砥~浅草駅間が旅客営業を開始するにあたり、当初の青砥~隅田川貨物駅間の路線の途中から旅客専用線を分岐させることになった。その際に分岐点として設けられた。当時の名称は「汐入信号所」。その後、近隣住民の要望により旅客営業を開始し、昭和12年に「西汐入」駅として開業した。昭和21年、終戦に当たり隅田川~当駅間は廃止される(詳しくは手賀沼線の沿革を参照)と当駅は普通の中間駅となった。
その後昭和36年に当駅から上野桜木駅に路線を分岐させ、本線系統と接続(東京駅乗り入れ)することになると再度その分岐駅として選ばれ、南側に200m移設の上立体交差構造の分岐駅に変貌した。平成20年に近隣の公園整備に伴い現駅名に改称している。現在は青砥~当駅間の複々線化工事が実施されており、それに先駆けて暫定的に上り本線が速度制限を受けずに浅草・芝浦線方面に直進できるように配線が改良された。
いわゆる手賀沼線の本線である上野桜木ルートが、地図上で支線扱いの浅草ルートから分岐しているように見えるのは、上述の経緯によるものである。なおこの扱いは書類上に過ぎず、列車本数は浅草方面の方が多い。
駅周辺は桜の名所として知られる。
沿革
1936(昭和11)年 汐入信号所として開設
1937(昭和12)年 西汐入駅として旅客営業開始
1946(昭和21)年 当駅~隅田川駅間を廃止
1961(昭和36)年 駅を移設したうえで当駅~上野桜木(~東京)間が開通
2008(平成20)年 汐入公園駅に改称

隣の駅

吉原通(本線) 橋場(汐徒支線)←[当駅]常武鐘ヶ淵


橋場

はしば Hashiba

   
所在地  東京都台東区橋場
駅番号 eg47
キロ程 汐入公園起点0.9キロ              
駅構造 地下駅
ホーム

2面2線

開業年月日 1937年(昭和12年)8月8日

停車種別:各停 準急

 

昭和12年、青砥~浅草間の旅客営業開始にともない途中駅として開業。開業当初から地下駅であり、当時としては珍しい存在であった。ホームの壁に貼られているタイルは青色で、隅田川をイメージしている。当駅の設計はフランス・パリの地下鉄が参考にされている。

 

沿革

1937(昭和12)年 開業

 

隣の駅

今戸←[当駅]→汐入公園


今戸

いまど Imado

   
所在地  東京都台東区橋場
駅番号 eg46
キロ程 汐入公園起点1.7キロ              
駅構造 地下駅
ホーム

2面2線

開業年月日 1937年(昭和12年)8月8日

停車種別:各停 準急

 

昭和12年、青砥~浅草間の旅客営業開始にともない途中駅として開業。開業当初から地下駅であり、当時としては珍しい存在であった。ホームの壁に貼られているタイルは桜色で、付近の桜並木をイメージしている。地下駅としては珍しく業務を行う駅舎は地上に存在するが、これは土地制約上の問題で地下に出口を多く設置できなかったためである。

 

沿革

1937(昭和12)年 開業

 

隣の駅

浅草←[当駅]→橋場


浅草

あさくさ Asakusa

   
所在地  東京都台東区雷門
駅番号 eg45
キロ程 汐入公園起点2.9キロ             
駅構造 地下駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1937年(昭和12年)8月8日

停車種別:各停 準急 急行 通急 通快

 

昭和12年、青砥~浅草間の旅客営業開始にともない開業。
常武浅草駅の歴史(この項にでてくる企業名は実在の物とは関係ありません。)
常武急行の前身である葛飾鐡道は、浅草開業直前時点で現在の八潮線(大正12年開業)と手賀沼線(昭和3年開業・和名ケ谷~青砥)を運営していた。特に八潮線では北千住駅での貨車授受の関係上、東武鉄道との関わりが深かった。しかしながら手賀沼線区間は青砥が終点ということもあり、京成との関係が大きかった。大正が終わり、昭和恐慌に入った段階で葛飾鐡道のような弱小私鉄は経営面で苦戦を強いられており、事実上大手私鉄の系列にならざるを得ない状況であったのだが、ここで東武系につくか京成系につくかで議論になった。
同時期に東武と京成は浅草乗り入れについて熾烈な争いを行っていた。葛飾鐡道としても、提携先が当時東洋一の繁華街であった浅草に路線を進出することの意味は大きく、この争いの結果が提携そのものの行方を左右した。昭和3年に京成電車疑獄事件が発生し東武の浅草乗り入れが決定的になると、葛飾鐡道も東武との連携を強めた。(完全に子会社になった訳ではなく、京成側についても八潮線の千住大橋延伸などで良好な関係を築いている。)
これに際して、青砥が終点であるために京成のフィーダー路線と化していた手賀沼線区間を延伸させることになり、当初は鐘ヶ淵駅で東武と葛飾鐡道が連絡する予定であった。しかし、荒川放水路開削を想定していなかったという凡ミスにより当初のルート通りに建設することができず、葛飾鐡道は東武鐘ヶ淵に乗り入れることができなくなった。周辺市街地の発達によってルート変更もかなわなかったため、苦肉の策で西汐入(現汐入公園)~浅草を地下線で建設することになった。浅草駅については東武駅の地下を間借りした。
この経緯によって、弱小私鉄である葛飾鐡道がまさかの浅草乗り入れを実現することになった。
しかし戦後、焼野原になってしまった東京は山手線沿線が発展し、浅草のターミナルは中途半端な存在となりかけていた。当初は浅草から先を延伸する計画や、営団に乗り入れる計画もあったが、工事に時間がかかることが予想されたため西汐入~上野桜木(→東京)への延伸が優先された。これによって書類上は支線の終点に転落してしまった当駅だが、実際には手賀沼線の上野桜木乗り入れには本数の制約があったので、当駅には過半数の列車が発着する状況が続いた。
抜本的な解決となったのは昭和60年で、芝浦線との直通運転開始に伴い当駅~新御徒町が延伸され中間駅となった。その後も現在に至るまで事実上の本線として当駅には多くの列車が乗り入れている。
沿革

1937(昭和12)年  開業 当時の駅名は「浅草雷門」

1945(昭和20)年  「浅草」に改称

1961(昭和36)年 西汐入~上野桜木開業に伴い、西汐入~当駅は支線化

1985(昭和60)年 当駅から新御徒町駅が延伸し、芝浦線と直通運転開始

 

隣の駅

清島←[当駅]→今戸

発車メロディー(上り):花(滝廉太郎・1900)

発車メロディー(下り):ピカデリー(サティ・1904)


清島

きよしま Kiyoshima

   
所在地  東京都台東区元浅草
駅番号 eg44
キロ程 汐入公園起点3.9キロ              
駅構造 地下駅
ホーム

2面2線

開業年月日 1985年(昭和60年)3月14日

停車種別:各停 準急

 

昭和60年、浅草~新御徒町間の延伸によって開業。昭和12年開業のほかの駅との意匠のつながりを持たせた建築が特徴的な地下駅である。ホームに張られたタイルは黄色である。

 

沿革

1985(昭和60)年 開業

 

隣の駅

新御徒町←[当駅]→浅草


新御徒町

しんおかちまち Shin-Okachimachi

   
所在地  東京都台東区台東
駅番号 eg43
キロ程 汐入公園起点4.7キロ             
駅構造 地下駅
ホーム 2面4線
開業年月日 1985年(昭和60年)3月14日

停車種別:各停 準急 急行 通急 通快

 

昭和60年、手賀沼線が芝浦線と直通運転を開始した際に延伸された区間とともに開業。開業時から両線の接続駅であることのほかに、両方向への折り返しが可能な設備を持つ2面4線の駅である。
沿革

1985(昭和60)年  開業 

隣の駅

八名川町(芝浦線)←[当駅]→清島