[御注意] この項に登場する企業名は実在する企業とは全く関係御座いません。
編成 | 2両編成10本 4両編成6本 6両編成16本 10両編成4本 |
軌間 | 1,067mm |
饋電方式 | 直流1,500V 架空電車線方式 |
最高運転速度 | 120km/h |
設計最高速度 | 130km/h |
起動加速度 | 3.5km/h/s (当形式のみの連結時) |
常用減速度 | 3.8km/h/s |
非常減速度 | 4.5km/h/s |
車両定員 | 先頭車150名 中間車163名 |
全長 | 20,000mm |
全幅 | 2,900mm |
台車 | ボルスタレス台車 |
主電動機 | かご型三相誘導電動機 180kw |
駆動方式 | 中空軸平行カルダン方式 |
歯車比 | 6.07 |
制御方式 | VVVFインバータ制御 (GTO素子) |
バブル経済初期の1987年に登場。加速性能に優れたVVVF制御の採用、2両編成から10両編成までの多彩な編成両数、最新技術を採用した。当時多く残っていた旧型車両をすべて置き換え、全列車の新性能化、冷房化に貢献した。
概要
1982年から常武急行では10両編成の列車の運転が開始されたが、当時10両固定編成の在籍はなく、短編成の併結によって運用していた(現在もそういった列車は多い)。さらに朝ラッシュ時に10両編成を多く導入するにあたっては20m車8両編成の扱いが問題となり、10両編成の運用を行う際に邪魔者となった。そこで、10両編成の導入には単独2両編成の車両を製造することが効果的であると判断された。これに対し、8両編成に中間2両を組み込むという案もあったが、当時の常武急行は
・4両編成や6両、8両編成の列車も日中を中心に多く存在し、既存の4両編成や6両編成の車両の増結にも2両編成を使える
・同一編成内の製造時期、仕様の差を無くせる
・地価の高騰による好景気(いわゆるバブル景気)から会社の収益が大幅に増加しており(通称「常武フィーバー」)、2両編成のような高価な全先頭車編成の導入も大きな負担にならない
ということもあり、2000系設計の大きな指針となった。
また、当時の大手私鉄では釣り掛け駆動のいわゆる「旧性能車」をいかに早く消滅させるかというのが流行になっており、常武急行はどの社よりも早く1977年に達成しそうになった。しかし、達成目前の改正による大増発で多くの旧性能車が復活したばかりか、同年12月には検査期限間近の電気機関車に制動以外が故障した電車を牽かせて営業運転させるという衝撃的な運用も行い、一気に下位に転落し意気消沈のまま82年、京成電鉄に先を越されてしまった。そこで、当時の社長尾崎台豊の指示のもとに史上最高性能の車両で旧型車を全廃させる計画が立てられ、2000系はこれらの期待のもとに誕生した。
車体
1050系に続き軽量ステンレスを採用。構造を見直したことにより1050系よりもさらなる軽量化を果たした。側面客用窓は油圧式のパワーウィンドウを採用。前面部が鋼鉄製であるのも1000系列と同一であるが、当形式は配色をはじめ大きな見直しが行われ従来とは全く異なるデザインとなった。当形式より尾灯はLEDとなった。
行先表示機に関しては、全車両落成当時は幕式だったが、後年になり一部編成が3色LEDのものに交換された。この交換後の前面行先表示機は常武急行車で唯一明朝体を表示するものである。2005年よりパンタグラフのシングルアーム式への交換が、これもまた一部車両に対して行われている。
走行機器
常武急行では初めてとなるVVVFインバータ制御とかご型三相誘導電動機を採用。MT比は1:1で電動車と付随車の2両1ユニットで構成されている。制御装置は東洋電機製造のGTOサイリスタ素子による制御機で、定速運転制御も備える。電動機は1:1のMT比で高加速度を実現するために1時間定格180kwの強力なものが採用された。台車はボルスタレスのものが常武急行では初めて採用された。制動装置は、在来車との併結を考え電磁直通式も検討されたが、単独運用における俊敏性を重視し電機指令式ブレーキを採用。併結に際しては読み替え装置を使用することとされた。
車内設備
ロングシートで、扉間7人掛け、車端3人掛けである点は1000系列と同一であるが、各車両車端部むかって右側にはボックス席が設置された。座席自体も1000系よりも座面が広がり、さらに深くなった。サスペンションも改良がなされ、最上級の座り心地を実現した。そのほかの内装は1000系と同一であるものの、バブル経済、「常武フィーバー」のさなか更なるサービスの向上を目指しつり革の増設、混雑のひどかった東京方先頭車両に座席跳上げ機構を搭載、油圧式自動窓、電動巻取り式カーテンの設置、路線図式車内表示機の設置(後年LED表示機に交換)、自動放送装置、双方の通話が可能な車内通報装置、ガラス面の大きな見通しの良い貫通扉など様々な新機構が設置され、バブル期を象徴する車両となった。
想定された設備
高景気で株価の高騰が止まらなかった当時の常武急行では、2000系の開発に当たり以下のような設備や仕様の搭載も検討していたが、これらは見送られた。
・座席配置を自由自在に変更できる機構(転換クロス、ボックス、ロング、立ち)
・車端部を取り外し可能として検修区で先頭車と中間車を自在に変更
・16両編成で運転→1988年には20両化計画に
・全車2階建て→あきらめて運転室だけでも2階に上げて展望に
・連接車
・無人運転車
・昼間の閑散時に国鉄の貨物列車を牽引させる
・同型車を外国(欧州を想定していた)に押し売り
・架線が無くても走れる設備を頑張って開発
・食堂車
・フリーゲージ
・非金属製車体
・水陸両用電車
・飛行可能電車
・常武急行を北海道まで延伸するために、交直切替装置搭載 青函連絡船にも対応
・車体や軌間の大きさを変えられるようにして日本全国で走れるようにする
・改造の上時速150kmで運転→1989年には200km/hで運転しようとしていた
・起動加速度6.0km/h/sへの挑戦
・所有車両を全部2000系にして、1000系は東武鉄道に売却
当然、すべて頓挫した。
沿革
1987年に第一編成(10両)が落成。本格導入は翌1988年から始まり、2両編成も導入されるようになった。2113、2114の両編成は昭和64年に落成している。1993年までに全編成が出そろった。1999年の12両編成の運転開始までは、10両固定編成は高加速を生かし各駅停車に重点的に充当されるような運用が組まれていた。
前述のとおり、1998年から2001年にかけて一部車両の行先表示機が3色LED式に交換されたほか、2005年より一部編成のパンタグラフの交換も行われている。
行先表示機交換編成
パンタグラフ交換編成
2000系の変則編成
2123編成(1989年落成)と2153編成(1991年落成)はそれぞれ2両編成、4両編成であるが、1995年に両者を組成変更し3両編成2本にしたうえで併結し、以来6両編成扱い(2153編成6両)で運用されている。これは当時の常武急行において、従来の2両編成単位から3両編成単位に組成変更し、閑散時間帯の3両、6両編成、優等列車やラッシュ時の9両編成、12両編成という運用体系が計画されていたためである。結果この計画は様々な問題から凍結されたものの、2153編成はそのまま運用されている。2015年に2153編成の中間封じ込め制御車の運転台が撤去され中間車化され客室となったため、再度の組成変更は不可能な状態となった。
2114編成
2114編成は前述のとおり昭和64年(1989年)製の編成であるが、これは常武急行における「昭和最後の車両」という点であることが注目され、2013年から「常武急行クラシック電車」として塗装、内装の大幅な変更を行い、さながら昭和20年代に活躍した旧型車を思わせるデザインになった。
その経緯に、2011年に復刻塗装に戻された9000系第8編成、第22編成の人気が高かった点があげられる。この編成は濃紫色と淡緑色の旧塗装の車両であり、ファンだけでなく一般旅客からも好評であったため、2013年の同車引退後も何らかの形でその塗装を残そうといった計画が立った。
2103編成
2015年9月に発生した豪雨被害の大洪水で大打撃を受けた常武急行とその沿線地域は、一体となった復旧を目指すことになり、その第一弾として常武急行では関東平野の自然をイメージした特別塗装の列車が走ることになった。当形式の第三編成は菜の花をイメージした黄色と橙色の塗装に変更された。
2114編成「常武急行クラシック電車」
2103編成
運用
全編成が中川線を除く常武全線および直通先に対応しており、全区間で運用されている。常武急行所属のすべての形式と併結することが可能である。
今後の予定
登場から30年以上が経過した車両も出始め、2018年に車両更新計画が発表された。基本的には現在製造中の5030系と遜色ない接客設備に更新することとされており、塗装も5030系同様の物に変更される。今後全車に更新工事が行われ、更新後10年程度使用する予定である。
2080番台は平成元年に6両編成9本が製造された、中川線専用車両である。それまでの中川線は主に松伏検修区所属の6両編成が区別なく使用されていたが、本形式導入を機に運用が区別された。
基本番台との差は車体で、短距離輸送が中心となる中川線での運用を想定し2080番台では幅広扉を採用している。また、ボックスシート及び跳上げ座席の採用は見送られた。
現在の運用は中川線と入出庫の川間線ゆめみ野~新稲荷だが、車両設計上は常武急行全区間の走行が可能である。ただし他社線への乗り入れに対応しておらず、2000系以外との併結にも対応していないので、それ以外の運用に入ることはない。
倉敷玉野鉄道
常武急行系列の倉敷玉野鉄道では、車両の置き換えを目的に1989年から2000系2両編成を導入し、20系として運転している。性能や仕様はほぼ同一であり、万が一の車両の転配も考慮して車番も被らないように工夫されている。