青砥

あおと Aoto

   
所在地  東京都葛飾区青戸
駅番号 EG12
キロ程 上野桜木起点8.9キロ (東京起点13.9キロ 新御徒町駅起点9.4キロ)              
駅構造 高架駅
ホーム 2面4線
開業年月日 1928年(昭和3年)11月11日

停車種別:各停 準急 急行 通急 通特

昭和3年、付近を走行する京成線の同駅開業とともに設置。当駅の設置により、葛飾鉄道の第一期区間は完成した。

現在は高架駅であり、2面4線化されている。長門町方には引上げ線もあり、終日当駅発着の列車が多く設置されている。特に朝ラッシュ時は当駅以東の旅客が集中することもあり列車本数も相まって大変な混雑が発生しており、複々線化工事が進んでいる。

平成31年1月に当駅から篠原町までの3線化が完了した。工事自体の完成は令和7年を予定している。

 

中川線との乗換駅であり、同線とは構内で立体交差している。

沿革

1928(昭和3)年  開業

1931(昭和6)年  当駅から鐘淵方面の区間が開業

1980(昭和55)年 高架化

2019(平成31)年 当駅から篠原町までの区間が3線化

2025(令和7)年   汐入公園までの複々線化完成予定

 

隣の駅

本田中原←[当駅]長門町


本田中原

ほんでんなかはら Honden-Nakahara

   
所在地  東京都葛飾区立石
駅番号 EG11
キロ程 上野桜木起点7.9キロ (東京起点12.9キロ 新御徒町駅起点8.4キロ)              
駅構造 高架駅
ホーム

2面3線

開業年月日 1936年(昭和11年)3月3日

停車種別:各停

 

昭和11年、青砥~浅草間の旅客営業開始に伴い設置された。現在この区間では複々線化工事が行われており、平成31年に上り線の青砥~篠原町間が2線になったため、暫定的に当駅は単式ホーム1面と島式ホーム1面の2面3線構造とされている。

 

沿革

1936(昭和11)年 開業

 

隣の駅

篠原町←[当駅]→青砥

篠原町

しのはらちょう Shinoharachō

   
所在地  東京都葛飾区堀切
駅番号 EG10
キロ程 上野桜木起点6.5キロ (東京起点11.5キロ 新御徒町駅起点7.0キロ)              
駅構造 高架駅
ホーム

2面4線

開業年月日 1936年(昭和11年)3月3日

停車種別:各停

 

昭和11年、青砥~浅草間の旅客営業開始に伴い設置された。開業時から高架駅であり、昭和60年に待避線が設置されて2面4線になった。現在この区間では複々線化工事が行われており、平成31年に上り線の青砥~当駅間が2線になった。当初計画では当駅は現在の位置よりも西側に設置する予定であったが、荒川放水路の開削による変更で現在の位置になった。

 

沿革

1936(昭和11)年 開業

1985(昭和60)年 待避線を設置し2面4線化

隣の駅

常武鐘ヶ淵←[当駅]→本田中原

常武鐘ヶ淵

じょうむかねがふち Jōmu-Kanegafuchi

   
所在地  東京都墨田区墨田
駅番号 EG09
キロ程 上野桜木起点5.3キロ (東京起点10.3キロ 新御徒町駅起点5.8キロ)              
駅構造 高架駅
ホーム

2面2線

開業年月日 1936年(昭和11年)3月3日

停車種別:各停

 

昭和11年、青砥~浅草間の旅客営業開始に伴い設置された。隅田川と荒川放水路の間に位置する駅である。付近を東武伊勢崎線が通過しているが、同線の同名駅とは徒歩5~10分ほどの距離がある。現在青砥~汐入公園間は複々線化工事が進行中である。工事完了後は2面4線の駅になる予定であるが、他の中間駅の工事が進行しているのに対し当駅は渡河橋梁の架け替えの進捗に左右されるため工事が遅れている。

 

沿革

1936(昭和11)年 開業 当時の駅名は「鐘ヶ淵」

1950(昭和25)年 「常武鐘ヶ淵」に改称

隣の駅

汐入公園←[当駅]→篠原町

汐入公園

しおいりこうえん Shioiri-Kōen

   
所在地  東京都荒川区南千住
駅番号 EG08
キロ程 上野桜木起点4.2キロ (東京起点9.2キロ 新御徒町駅起点4.7キロ)              
駅構造 高架駅
ホーム 2面4線
開業年月日 1937年(昭和12年)8月8日  (信号所としての開業は昭和11年3月3日)

停車種別:各停 準急 急行

 

昭和11年に、青砥~浅草駅間が旅客営業を開始するにあたり、当初の青砥~隅田川貨物駅間の路線の途中から旅客専用線を分岐させることになった。その際に分岐点として設けられた。当時の名称は「汐入信号所」。その後、近隣住民の要望により旅客営業を開始し、昭和12年に「西汐入」駅として開業した。昭和21年、終戦に当たり隅田川~当駅間は廃止される(詳しくは手賀沼線の沿革を参照)と当駅は普通の中間駅となった。
その後昭和36年に当駅から上野桜木駅に路線を分岐させ、本線系統と接続(東京駅乗り入れ)することになると再度その分岐駅として選ばれ、南側に200m移設の上立体交差構造の分岐駅に変貌した。平成20年に近隣の公園整備に伴い現駅名に改称している。現在は青砥~当駅間の複々線化工事が実施されており、それに先駆けて暫定的に上り本線が速度制限を受けずに浅草・芝浦線方面に直進できるように配線が改良された。
いわゆる手賀沼線の本線である上野桜木ルートが、地図上で支線扱いの浅草ルートから分岐しているように見えるのは、上述の経緯によるものである。なおこの扱いは書類上に過ぎず、列車本数は浅草方面の方が多い。
駅周辺は桜の名所として知られる。


沿革
1936(昭和11)年 汐入信号所として開設
1937(昭和12)年 西汐入駅として旅客営業開始
1946(昭和21)年 当駅~隅田川駅間を廃止
1961(昭和36)年 駅を移設したうえで当駅~上野桜木(~東京)間が開通
2008(平成20)年 汐入公園駅に改称

隣の駅

吉原通(本線) 橋場(汐徒支線)←[当駅]→常武鐘ヶ淵


吉原通

よしわらどおり Yoshiwara-Dōri

   
所在地  東京都台東区日本堤
駅番号 EG07
キロ程 上野桜木起点2.6キロ (東京起点7.6キロ)              
駅構造 地下駅
ホーム

2面2線

開業年月日 1961年(昭和36年)10月10日

停車種別:各停

 

昭和36年、西汐入~上野桜木駅間延伸の際に開業。開業時に上野駅への路線を伸ばす計画があり、その際に分岐駅となることが予想される当駅は将来的に2面4線となるように準備工事が行われている。現在は内側2線を本線として使用し外側2線は閉鎖されているが、そのうち下り方は線路が敷かれ車両留置に使われている。

 

沿革

1961(昭和36)年 開業

 

隣の駅

下谷←[当駅]→汐入公園


下谷

したや Shitaya

   
所在地  東京都台東区下谷
駅番号 EG06
キロ程 上野桜木起点1.4キロ (東京起点6.4キロ)              
駅構造 地下駅
ホーム

2面2線

開業年月日 1961年(昭和36年)10月10日

停車種別:各停

 

昭和36年、西汐入~上野桜木駅間延伸の際に開業。周辺は古くからの市街地である。

 

沿革

1961(昭和36)年 開業

 

隣の駅

上野桜木←[当駅]→吉原通


上野桜木

うえのさくらぎ Ueno-Sakuragi

   
所在地  東京都台東区上野桜木
駅番号 KM05  
キロ程 東京起点5.0キロ                
駅構造 地下駅
ホーム 4面8線
開業年月日 1961年(昭和36年)10月1日

停車種別:各停 準急 急行 通急 

昭和36年、千住大橋~東京駅間延伸の際に開業。同時に手賀沼線も乗り入れた。手賀沼線の起点駅である。また同じ常武急行の路線でありながら、本線系統(川間線・八潮線)と手賀沼線は当駅が開業するまで直接接続していなかった。当駅開業以前の手賀沼線のメインターミナルは浅草駅であったが、戦後の沿線人口増加や繁華街の発展により手狭になった浅草駅の問題を抜本的に解決するために、当駅への乗り入れが実現した。

なお、事実上の延伸であった川間線・八潮線系統とは異なりバイパス路線として当駅に乗り入れていた手賀沼線は平成17年まで専用のホームを持たなかった。現在は本線系統の一階層下に専用ホームが設けられている。

 

 

沿革

1961(昭和36)年 本線千住大橋~東京駅間の開通、及び手賀沼線汐入公園~当駅間開通にともない開業

1986(昭和61)年 手賀沼線ホーム(5~8番線)建設開始

2005(平成17)年 手賀沼線ホーム竣工・供用開始

 

 

隣の駅

弥生[当駅]三ノ輪橋(本線)下谷(手賀沼線)

発車メロディー(手賀沼線下り):乙女の祈り(バダジェフスカ・1851)